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あくまで即物的なセックス相性論
風俗批評宣言

それを知らずに一生を終える人もいるのだろうが、セックスには相性というものがある。心と心の相性ではなく、あくまで肉体と肉体の接触という意味での相性のこと。セックスとは男女の肉体が接触しない限りは成立しない行為である。二人の人間がお互いの肉体を駆使して何かをするという意味において、セックスとスポーツのペア競技(テニスやシンクロなど)は似たような関係にあると言っていいかもしれない。つまりセックスの相性について考える上で最も重要なのは、心ではなく肉体の問題なのである。まず最初に肉体(およびその運動)ありき、心はそれに附随するもの。いやいや、それでもやはり心が大事、などとのたまう者には即刻この場を立ち去ってもらうしかない。

例えばそれは、肌と肌を合わせた瞬間の体感。相手の肌ざわり、肉感などが自分のそれとうまくマッチしているのかどうか。肌と肌の合わせ方が大事なのではない。あくまで触れあった時の感触が大事なのである。同じように、舌と舌を絡み合わせたときの感触、チンポをマンコにつっこんだときの感触というのも大事である。後者は特に分かりやすいが、チンポもマンコも人によってそれぞれ大きさが違う。チンポは大きければ大きい方がいいなどという幻想が一部にまだ根強く残っているが、よく考えてみたまえ、ネジ穴にネジを固定する際に、穴がネジより小さかったらどうなるだろう? その逆もまた然り。本物の穴はネジの大小に若干ゆとりのある作りになってはいるが、それでもネジが大きすぎると無理をして入れなければいけなくなる。うまくそれが合致していたなら? これほど目出度いことはない。つまりこれが相性というもの。心の問題などまるで関係ないのである。

さらにこの考えを確かなものにする為に、もう一つばかり例を挙げてみよう。それは男女の身長差である。男女共々高すぎず、低すぎず、男が女の頭一つ分くらい抜き出ているというのが理想的ではないだろうか。この差はちょうど、正常位や座位において、男女が互いに顔を見合わせながら抜き差しを行うことができる差といえよう。頭二つ分であれば男が女を覆い隠すような格好となり、差がなければ男の顔が女の顔より下の部分に位置してしまう。これは何とも不様なものだ。挿入が性行為のラストを飾るクライマックスであるならば、やはりお互い顔を見合わせて、なおかつキスでもしながらというのが最適であろう。ちなみにこの身長差が最も如実となってあらわれるのがシックスナインで、その差があまりにかけ離れていると男か女、どちらかがかなり無理をして相手の性器に顔を近づけなければいけなくなり、肩や首などをしたたか痛めつけてしまうという事態にもなりかねないのである。


こう考えてみると、セックスがいかに困難な行為であるのかがよく分かる。なかなか上手くいかないからこそ、何度でも繰り返してみたくなるものなのかもしれない。その上手くいかなさ、困難さを埋めるものがあるとすれば、それがつまりは「心」というものなのではないだろうか。


心はいつもロンリー

文・写真/松澤信之
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