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肝心の題名は失念してしまったが、いまでも時折思い出す映画の一場面がある。
いかにも堅物な中年男性が、たまたま出会った売春婦に「お前はセックスをして金を稼いで恥ずかしくはないのか?」と問うと、それに対して売春婦が「私はセックスをあなたのように特別なものだとは思っていない。だからそれでお金を稼いで罪悪感を覚えることなど一切ない」と言い放つ。中年男性は絶句してしばらく何も言えなくなってしまう。
売春行為が「人類最古の職業の一つ」と呼ばれ、それがいまもなお続いているのはセックスを特別なものだと思う者と、それを特別なものだとは思わない、または無理にそう思わないようにしなければいけない者との共犯関係が成り立っているからであり、売り手にすればそれはごく当たり前のことであるが、買い手の側はえてしてそれを忘れてしまいがちである。
例えばネットの掲示板。風俗関係の書き込みはその大半が風俗嬢に対する悪口で埋め尽くされている。まあ、そんなところに何かを書き込む行為からして、すでに風俗に対して過剰な期待を寄せているおのれの幼稚を暴露しているだけだと思うのだが、悪口ではないものにせよ、あの風俗嬢はチップを払うと本番をやらせてくれるだとか何だとか、レベルの低いものばかりで見ていて本当に頭が痛くなってくる。
風俗嬢はただ単純に、その店で決められた行為(業態)の範囲内における技術の差で、良し悪しを判断されるべきではないかと思う。ただ、そう言ってしまうとあまりに夢がないというか、実際にお店でナンバーワンになる子が必ずしも技術力で抜きん出ているわけでもないと思うので、ならばそれ以外の良し悪しとは何か、ということを考えてみることにしよう。
これは何も体を売る商売に限ったことではないが、ある一定の時間内に買い手側に強い印象を与えることができるかどうか、というのも風俗嬢の良し悪しを計る基準の一つと言えるだろう。どんな商売でも固定客がいると売り上げは安定する。売り手側にその気がない、というケースもままあるだろうが、その問題を掘り下げていくと話がややこしくなるのでひとまず除外しておくことにする。さて、風俗における印象度の差とはいったいどのようなものなのか。顔や体、あるいは性格など、買い手側の個人的な好みで決まる、というかもはやそれでしか決まらないと言えるかもしれないが、逆にそれを予測し、何とか自分の商品価値を上げようと努力する姿勢があるのは勿論、その姿勢がわざとらしくなく、ごく自然に行われているように見える、とまで言うと過剰な期待を寄せているのはお前の方ではないかと反論をされてしまいそうであるが、そもそも売り手側に特別な意識はないという地点から話をはじめているので、これは過剰な期待でも何でもなく、風俗嬢としてはむしろ持っていて当然の意識であらねばなるまい。否、買い手は売り手と顔を合わせる前から受付で金を払って売買が成立しているはずだから、売り手が買い手にどう思われようが関係ないのではないか、という意見もあるだろう。しかし考えてみたまえ。初対面の相手に悪い印象を与えたいと思う人間などいったいどこにいるだろうか。もし端から売り手側がそういう態度を取るのだとしたら、買い手側によほど問題があるか(容姿や物腰、最低限のマナー違反など)、何か非常に悪いタイミングでその場に居合せてしまった(売り手の心身に何らかの問題が生じている)かのどちらかだろう。つまりそれは、諦めるしかないということだ。何か間違ったことが起きてしまった、と思うしかないのである。
それを踏まえた上で、今度は買い手側の意識を考えてみよう。過剰な期待を捨てた上で、純粋に風俗を楽しむことができるかどうか。買い手側に属する我々にしてみれば、むしろこちらの方がよほど重要な問題である。俗に言う「遊廓の流儀」にのっとった上で、そこからどれだけの楽しみを見い出すことができるか。先に「チップを払うと本番をやらせてくれる」なんて話が下らないと言ったのはこのことで、仮にそういう状況になったとしても、それをネットの掲示板で披露してしまうのは何とも大人げなく、そんな秘密は路地裏のゴミ箱にでも捨ててしまって、次の日の朝にはきれいさっぱり忘れてしまうくらいがちょうどいいのだ。それが売り手と買い手の健全な関係というものだろう。
いや、それでも夢は抱きたい。売り手と買い手の関係ではなく、男と女として純粋な関係を結びたいと思うのならば、それなりの責任を負う覚悟が生じてくることになるだろう。時に思わぬトラブルに巻き込まれてしまう可能性だって決してないとは言い切れない。実際に俺はいま、そんなトラブルを沢山抱えてにっちもさっちもいかなくなってしまっているのだ。もう懲り懲りだ。助けてくれ。これは切実なお願いだ。
文/松澤信之
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